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国立社

会保障・人口問題研究所

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9 労働者災害補償保険

      

1.概観

 労働者災害補償保険制度は、労働基準法において業務上の災害に対する事業主の無過失賠償責任が確立したことに基づき、1947(昭和22)年の労働基準法制定と同時に創られたものである。その後、労働者災害補償保険制度は適用対象の拡大、給付水準の改善、そして新たな事業の開始といった制度の内容を改善する動きをたどってきた。1965(昭和40)年に障害補償給付等の年金化を実現し、1970(昭和45)年に労働者を雇用するすべての事業を全面適用とし、ILO121号条約が示す給付水準を実現した。1973(昭和48)年には通勤災害をも保護の範囲に含め、1975(昭和50)年にはそれまで暫定任意適用事業とされてきた5人未満の労働者を雇用する商業やサービス業も当然適用とした。労働者災害補償保険制度は、1980年代以降においてもすぐあとでみるようにほぼ5年おきに法律改正がおこなわれ、介護問題や過労死問題等新たな問題に対応していった。

 このような労働者災害補償保険制度の展開によってその実態も大きな変容を遂げていった。1980年代以降のそれも含め簡単にみておこう。まず、労働者災害補償保険制度の適用事業場や適用労働者数はほぼ一貫して増大してきた。制度創設時には10万〜20万程度であった適用事業場、また600万人程度であった適用者数は、2002年度でそれぞれ265万カ所、4812万人となっている。業種別動向にも大きな変化がみられる。制度創設時の適用事業場で最も多い業種は製造業であり、全体の70%強を占めていた。その後、建設業が増え、80年代には20%を超えるほどの割合を占めるようになった。さらに顕著な動きを示しているのがその他産業と分類されるサービス業を中心とした第3次産業である。制度創設時には数%に過ぎなかったが1960年代後半には20%、そして70年代には40%を超え、さらには1990年代になるとほぼ50%となった。2002年度現在では54%を占め、圧倒的に最大の業種となっている。かつて最大多数を占めていた製造業は2002年度現在では18%を占めるに過ぎなくなった。

 給付種類別の動向をみてみると、制度創設の当初は障害補償費、休業補償費、療養補償費、遺族補償費がそれぞれ30%から15%を占め、4等分されていたともいえるほどであった。ところが1960年代に給付の年金化が始まって以降急速に年金給付が増え、80年代には30%、90年代には40%を超えて最大費目となり、2002年度では51%となっている。療養補償給付と休業補償給付は緩慢にその割合を減らしてきているが、前者は2002年度でも26%を、後者は15%を維持している。

 

2.1980年代の改革

1.1980(昭和55)年改正

労働者災害補償保険制度は、前述のような1970年代までの動きを受けて1980年代を迎える。第1次石油危機後の経済変動にともなって生じた新たな課題に対処すべく1980(昭和55)年に法律改正がおこなわれた。その主な内容は以下のとおりである。(1)スライド発動要件の緩和。従来賃金水準が10%以上変動したときその変動幅に応じて給付額が調整されてきたが、そのスライド制が発動される基準を10%から6%に引き下げた。(2)遺族補償年金額の引き上げ。(3)障害補償年金前払一時金の新設。労災を原因として障害が残った場合、年金受給権者の求めに応じて前払い一時金を支給できるようにした。(4)障害補償年金差額一時金の新設。障害補償年金の受給権者が死亡した場合、すでに支給された年金額の合計がその最高額に満たない場合その差額をその遺族の求めに応じて支給することができるようにした。(5)事業主責任災害における民事損害賠償と労働者災害補償保険給付との調整規定の新設[1]

 

2.1986(昭和61)年改正

1980年改正後も労働者災害補償保険制度には解決しなければならない課題があり、1982(昭和57)年7月には労働者災害補償保険審議会の内部に労働者災害補償保険基本問題懇談会を設置し、検討が続けられた[2]。この検討を受けて1986(昭和61)年5月に改正がおこなわれた。その主な内容は以下のとおりである。(1)年?????A?8'?金給付の給付基礎日額に関する年齢階層別の最低限度額・最高限度額の新設。(2)休業補償給付の給付内容の改善。所定の労働時間の一部のみ労働し、一部休業した場合の休業補償は給付基礎日額からその労働に対して支払われる賃金を差し引いた額の60%に相当する額とされた。また、刑務所等に収監中の場合の休業補償給付はおこなわないとされた。(3)通勤災害に関する保険給付の内容改善。(4)保険関係成立届未提出中の事故にかかわる費用徴収制度の新設[3]

 

3.1990年代以降の改革

1.1990(平成2)年改正

 1980年代後半以降の経済社会の変動にともなって発生している労災補償保険制度の課題について労災補償保険審議会は、1988年8月労災補償保険基本問題懇談会を設置し、検討してきた[4]。その結果を受けて1990(平成2)年6月に労災補償保険法が改正された。その主な内容は以下のとおりである。(1)スライド制の改善。年金や一時金については従来賃金が6%以上変動した場合、スライド制が適用されることとなっていたが、この改正により年度ごとの賃金の変動に応じて改定されることとなった。また、休業補償給付の場合に賃金が20%以上変動した場合にスライド制が適用されるとなっていたが、これを10%以上変動した場合にそれに応じて改定すると改正された。(2)長期療養者の休業補償給付への年齢階層別の最低・最高限度額の導入。(3)強制適用事業所範囲の拡大。暫定任意適用事業とされていた農業の事業のなかで事業主が特別加入をしている場合にその事業は強制適用とされた[5]

 

2.1995(平成7)年改正

 人口の高齢化や核家族化の波は被災労働者とその家族にもおよび、被災労働者は家族から十分な介護を受けることが困難となってきた。そこで、労災補償保険審議会は建議書を発表し、こうした新たな問題へも労災補償保険制度が対応すべく改善される必要があるとした[6]。これを受けて1995(平成7)年3月に労災補償保険法が改正された。その主な内容は以下のとおりである。(1)重度被災労働者に対する介護補償給付(常時介護、随時介護)の新設。労災を原因とした障害で常時または随時に介護を受ける労働者にはその介護を受けている間保険給付として介護補償給付が支給されることとなった。(2)遺族補償年金の給付内容等の改善。(3)特別加入制度の拡充。国内の事業主から国外の中小事業に事業主として派遣された者も海外派遣特別加入者の範囲に加えることができるようになった[7]。また、(1)の介護給付の創設にともなって、労災ホームヘルプサービス事業、在宅介護住宅資金の貸付制度、介護機器レンタル事業が労働福祉事業として新に追加された。

 

3.2000(平成12)年改正

 1980年代後半以降、仕事や職業生活に強い不安、悩み、ストレスを抱えている労働者の「過労死」が大きな社会問題となり、これを労災補償保険制度がいかに予防、あるいは補償できるかが課題となってきた。これについて検討をおこなってきた労働者災害補償保険審議会は、2000(平成12)年1月に業務上の理由による脳・心臓疾患の発症を予防するために新たな保険給付を創るべきだとの建議をおこなった[8]

これを受けて二次健康診断等給付の新設を主な内容とした法律案をつくり、国会に提出した。この法律案は11月に成立し、2001(平成13)年4月から施行された[9]

この改正の主な内容は二次健康診断等給付の創設であった。直近の健康診断によって「過労死」に関連があるとされる脳・心臓疾患を発症する危険性が高いと判断された場合、脳・心臓疾患の状態を知るために二次健康診断および予防のための医師の保健指導等を受けやすくなるようにその労働者の請求に基づき給付がおこなわれるようになった。

(田多英範)



[1]社会保障制度審議会「労働者災害補償保険法等の一部改正について」を参照。

[4]労働者災害補償保険審議会「労働者災害補償保険制度の改善について(建議)」を参照。