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国立社

会保障・人口問題研究所

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16 老人福祉

 

1.高度経済成長期までの老人福祉

 戦前の公的老人対策は、身寄りのない低所得の高齢者を対象とした救護法の養老院(戦後、1946(昭和21)年制定の旧生活保護法に継承)であった。一般の老人扶養は、家制度を前提とした相続制度による家督相続者が担うものとされた。戦後、家制度が廃止され、家督相続から均分相続に変わったことから、老人扶養の問題に関心が集まるようになった。

 1959(昭和34)年に国民年金法が制定され、同年4月から老人福祉年金の支給が始まり、1961(昭和36)年4月には拠出制国民年金が実施された。国民年金の積立金の存在が福祉充実への志向を強めた。1961(昭和36)年4月に軽費老人ホーム国庫補助が、1962(昭和37)年4月には老人家庭奉仕員派遣事業が創設され、1963(昭和38)年には老人福祉法[1]が制定された。同法は、老人福祉施設として、養護老人ホーム(生活保護法の養老院を継承)、特別養護老人ホーム[2]、そして軽費老人ホームを規定するほか、老人健康診査などを創設した。

 1960年代半ば以降になると、人口の高齢化が認識され、また、戦後の家族制度の変革、高度経済成長にともなう若年層を中心とした人口の都市集中、核家族化、女性の社会進出、住宅事情等の要因が絡み、老人問題は広がりをみせる。1968(昭和43)年9月の国民生活審議会の「深刻化するこれからの老人問題」は、年金、福祉、保健、就労、住宅対策[3]をあげた。同月、全国社会福祉協議会は、「居宅ねたきり老人実態調査」を発表した。これを契機として、ねたきり老人問題が社会問題となり、脳卒中などの医療対策と介護問題が課題となった。1970(昭和45)年11月、中央社会福祉審議会は、「老人問題に対する総合的諸施策について[4]と「社会福祉施設の緊急整備について[5]を発表した。前者は、年金、医療、就労、住宅、福祉サービスを縦断した「総合的老後対策計画」が必要だとして、老後の生活設計、健康と医療、住宅と施設、居住老人対策などを示した。後者は、ねたきり老人のための施設(特別養護老人ホーム)などを緊急に整備することを示した。1972(昭和47)年12月中央社会福祉審議会老人福祉専門分科会は、「老人ホームのあり方に関する中間意見」で、老人ホームを「収容の場」から「生活の場」へと転換させる必要性を指摘した。

 なお、高齢者の医療費負担を軽減し、必要な医療を確保するため、1972(昭和47)年6月の老人福祉法改正により、老人医療費支給制度が創設され、1973(昭和48)年1月から実施された。

 

2.高度経済成長期以降の老人福祉−在宅福祉・有償福祉・民間活用への志向−

  1.減速経済下での高齢化社会に対応した老人福祉構想

 石油危機後の経済基調の変化(高度経済成長から安定成長へ)と、高齢化の進展に対し、施設対策から在宅福祉・地域福祉に注目が集まるようになった。1975(昭和50)年8月、社会保障長期計画懇談会の「今後の社会保障のあり方について」は、在宅福祉対策を充実し、施設関係施策も在宅福祉の一環として位置づけ、在宅福祉対策を充実させる方向がとられるべきとした。また、1975(昭和50)年12月の社会保障制度審議会の建議(「今後の老齢化社会に対応すべき社会保障のあり方について」)は、「1人暮らしの在宅老齢者への援助を充実することなく、単に福祉施設に収容することだけでは、老齢者の幸福とはならない」と指摘し、在宅福祉への志向[6]を表明した。

 やがて、1980年前後からは、有償対人サービスや市場機構を通じて提供されるサービスの導入を検討すべしという見解が示されるようになる。1979(昭和54)年8月の「新経済社会7カ年計画」では、市場機構を通じて提供されるサービスを活用しようとする方向は、「有料老人ホームなど市場機構を通じて提供されるサービスの活用、有料の対人サービスの導入等による福祉需要の多様化への対応などについて検討を進める」とした。1980(昭和55)年1月には、社会経済国民会議が「社会福祉政策の新理念−福祉の日常生活化をめざして−」を発表し、「社会福祉から社会サービスへ」へという表現で、特別に「措置」された人たちに対する社会福祉ではなく、一般の人が特別のケアとサービスを必要とする状態になったときになされる社会サービスであるべきとし、有償サービスの道をも開くことを提言した。年金制度の成熟化にともない購買力のある高齢者が増加したことなどを背景に、老人福祉分野についての民間活力を活用しようという発想は、第二次臨時行政調査会の各答申[7]にも現れている。

 1985(昭和60)年1月、社会保障制度審議会は、「老人福祉の在り方について」の建議の中で、公的部門とインフォーマル部門の役割分担、民間企業の活用と規制に触れた。この中では、「高齢化社会の本格的到来と年金制度の成熟等を背景に、民間企業のシルバー市場への積極的な参入が始まっている」という認識の下に、公的部門を補完するものとしてのインフォーマル部門と民間企業の活用とその健全育成の必要性を提言した。また、「市場機構を通じて民間企業のもつ創造性、効率性が適切に発揮される場合には、公的部門によるサービスに比べ老人のニーズにより適合したサービスが安価に提供される可能性が大きい」と、民間企業によるサービスの優位性を強調した[8]

 

  2.施設・住宅対策

 石油危機後、公共事業抑制の方針がとられたが、社会福祉施設整備については政策的な配慮が行われた。1974(昭和49)年2月の社会保障長期計画懇談会の「社会福祉施設整備計画の改定について」は、新しい整備計画の前提として、従来の施設収容偏重から脱皮し、在宅福祉対策重視の考え方を明確にすること、量のみでなく質的充実を図ることを指摘し、老人福祉施設については、特別養護老人ホームの不足解消を図るとともに、軽費老人ホーム、有料老人ホームの整備促進をうたった。以後、有料老人ホームの育成と規制が行われるようになる[9]

 1977(昭和52)年8月、全国社会福祉協議会は、「都市型特別養護老人ホームの整備のあり方に関する研究」で、大都市部における特別養護老人ホームの新しい機能として「利用施設」への転換や、地域サービスとしての新しい機能として、ショート・ステイ・サービス、デイ・ホーム・サービス、入浴サービス、給食サービスなどをあげるとともに、今後在宅対策の確立が課題となるとした。また、1977(昭和52)年11月の中央社会福祉審議会・老人福祉専門分科会の「今後の老人ホームのあり方について」(意見具申)は、社会福祉施設の多くが遠隔地に設置され、老人ホームなどの収容型社会福祉施設がとかく地域社会から孤立しがちなことを払拭するため、老人ホームの地域開放を提案した。老人福祉施設を活用した在宅施策としては、寝たきり老人短期保護事業(1978(昭和53)年)と通所サービス事業(1979(昭和54)年)が国の補助事業として登場した。

 財政対策や年金制度の成熟などを背景に、老人福祉施設を生活施設とする観点から利用者に応分の負担をもとめるため、1980(昭和55)年以降、養護老人ホームおよび特別養護老人ホームの費用徴収の方式が変更された[10]

 一人暮らし老人・高齢者のみの世帯の増加がみられること、社会保障制度審議会が「従来の老人ホームと住宅との中間形態の小規模な老人向き集合住宅の整備が望まれる」[11]としたことなどを受けて、1986(昭和61)年4月、厚生省・建設省の高齢者の福祉と住宅に関する研究会は、「中間報告〔シルバーハウジングの構想」で、「ケア付き住宅」を提案した。1989(平成元)年1月の中央社会福祉審議会老人福祉専門分科会「当面の老人ホーム等のあり方について」(意見具申)は、軽費老人ホームをケア付き住宅とするため、新しい軽費老人ホーム(ケアハウス)を提言した。

 

  3.在宅対策・有償福祉・まちづくり

 全国社会福祉協議会在宅福祉サービス研究委員会は、1977(昭和52)年7月、「在宅福祉サービスに関する提言」を発表し、要援護者(ねたきり、病弱障害者、老人)のための在宅サービスを強化するための方策として、家庭奉仕員の増員と処遇改善、有料ヘルパーの新設、マンパワーとしてのボランティアの確保、モデル地域の設定等を提案した。1980(昭和55)年12月、武蔵野市は、老人の有償在宅サービス事業を開始し[12]、1981(昭和56)年4月には、武蔵野市福祉公社を設立した。

 1981(昭和56)年12月10日、中央社会福祉審議会は、「当面の在宅老人福祉対策のあり方について」という意見具申を行った。それは、@福祉サービスは居宅処遇を原則とし、従来施設福祉対策の補完物であった在宅福祉対策を積極的に確立すること、A所得のいかんにかかわらず、援助を必要とするすべての老人を対象とすること、B地域住民やボランティア等を組み込んだ福祉供給システムを形成し、必要な福祉サービスをいつでも供給できる体制を整備すること、C市町村が行う家庭奉仕員制度を所得税課税世帯にも適用し、新たに老人ホームを経営する社会福祉法人・福祉活動団体等にも委託すること、D施設福祉サービスの活用、痴呆性老人のための福祉施策[13]の早急な実施等を提言するものであった。

  1982(昭和57)年に制定された老人保健法は、入院期間が長期に及んだ場合には、診療報酬を逓減させることとしたが、その結果、「社会的入院」をしていた特に都市部の要介護高齢者が地域に戻ったと推測される。これは、その後の「住民参加型在宅福祉サービス団体」の隆盛のきっかけとなった。1987(昭和62)年9月の全国社会福祉協議会の「住民参加型在宅福祉サービスの展望と課題」は、「都市ないしその周辺地域」に「住民の助け合い、相互連帯を基調とした(中略)非営利の民間有料在宅福祉サービス組織が(中略)急速に普及して」いると記述している。その後、家庭奉仕員派遣事業の委託先が、1989(平成元年)5月からは、特別養護老人ホームを運営する社会福祉法人や在宅介護サービスガイドラインを満たす民間業者にも拡大された。さらに1991(平成3)年には、在宅介護支援センターを併設する特別養護老人ホーム、老人保健施設、病院に、1992(平成4)年には、福祉公社、在宅介護支援センター運営を委託している社会福祉法人・医療法人等、農業協同組合連合会、生活協同組合連合会、介護福祉士にも委託が認められるようになった。

 1988(昭和63)年12月、高齢者が健康で安心して暮らせるまちづくり懇談会は「報告書」において、高齢者の生活基盤が家庭やそれをとりまく地域社会にあるから、高齢者の日常生活圏である「地域社会・まちの機能そのものが高齢者に配慮されたものでなければならない」として、「高齢化対応のまちづくり」を意図的に進めるべきだとした。

 

  4.民間活力の活用

 1985(昭和60)年2月、臨時行政改革推進審議会民間活力推進方策研究会は、「民間活力の発揮推進のための行政改革の在り方」で、福祉、医療保健などの社会サービスにおいて、高次の多様なサービス・ニーズに対応していくために、できるだけ市場原理を生かし、民間企業等の参入を促進することが必要であると指摘した。同年11月、厚生省社会局にシルバーサービス振興指導室が設置され、有料老人ホーム、介護サービス、保健福祉機器、金融を中心にシルバーサービスへの本格的な取組みが始まった。また、1987(昭和62)年2月には民間有力企業等からなる社団法人シルバーサービス振興会が設立され、シルバーサービスに関する調査研究・情報提供等を行うこととなった。同年12月、福祉関係三審議会合同企画分科会は、「今後のシルバーサービスの在り方について」(意見具申)で、育成の方向を示した。1989(平成元)年7月、経済企画庁・民間活力活用に関する研究会「中間報告」では、「福祉サービスの充実と民間活力の活用」として、ケアサービスの供給、不動産担保(リバースモーゲージ)などを列挙した。

 21世紀に向けた高齢化の進展と在宅福祉志向の高まりは、民間企業に未知のシルバー市場の存在を意識させることとなった。こうして、福祉サービスの分野に民間企業の積極的な参入がみられるようになってきた。

 

  5.老人医療問題−中間施設・訪問看護の創設−

 1973(昭和48)年の老人医療費の無料化、高額療養費制度の導入は、高齢者の医療需要を掘り起こし、老人医療費の急激な増加を招いた。各医療保険制度のうち、高齢者の加入割合の高い国民健康保険制度は、深刻な財政危機に陥った。以後、国民健康保険関係者からの提言を手始めに、老人医療費制度の提言[14]が行われ、1982(昭和57)年には老人保健法が制定され、老人福祉法の老人医療費と老人健康診査の部分が、同法に移行した。老人保健法は、急増した老人医療費について各医療保険制度間の負担の不均衡を是正するとともに、老人の疾病予防を目的とする老人保健事業を創設した。また、「社会的入院」などの不必要な長期入院を是正するため、診療報酬上で、介護機能に着目した基準看護の見直しを行い、リハビリテーションを行う医療機関を評価する一方、入院期間が長期に及んだ場合には、診療報酬を逓減させることとした。しかし、診療報酬上の誘導で退院を奨励しても、介護家族の就労・別居や家屋構造上の問題などで家庭の受入体制が整わないこと、また、特別養護老人ホームなどの介護施設の絶対的な不足などのため、社会的入院の解消ははかばかしい進展をみせなかった。これは、特別養護老人ホームや在宅ケア体制の整備が不十分な状況にあって、病院が受け皿とならざるを得なかった側面が依然としてあったからであった。

 1985(昭和60)年1月の社会保障制度審議会の「老人福祉の在り方について」(建議)は、医療・福祉サービスを併せて提供する「中間施設」構想を提案し、大きな波紋を投げかけた。この建議では、@重介護を要する老人の施設となっている老人病院と特別養護老人ホームでは、処遇内容がほとんど同じであるにもかかわらず、両者の入所手続きや費用負担の仕組みが相違しているのは不合理であること、A両者の長所を持ち寄り、新しい介護施設として医療・福祉サービスを一体として提供する中間施設を制度化すべきであること、B入所費用のうち、生活費は原則として本人負担、介護費は社会保険負担とし、介護の程度に応じて段階的な定額制とすること、が提言された。同年4月には、厚生省に、「中間施設に関する懇談会」が開催され、高齢化社会の到来とともに要介護老人が著しく増加することに対し、保健・医療・福祉にわたる総合的な施策・施設体系の確立を図ることが検討された。同懇談会は1985(昭和60)年8月、「要介護老人対策の基本的考え方といわゆる中間施設のあり方について」という中間報告を発表した。この中では、@デイ・ケア、デイ・サービス、ショートステイなどを行う在宅型と、要介護老人を入所させる入所型の中間施設が考えられること、A中間施設の費用は、公費負担のほか保険財源の導入、適正な利用料の徴収により賄うこと、B中間施設の設置には、病院・特別養護老人ホームへの併設、病棟の病床転換等も考えること、C設置主体から営利目的の者を排除すること、入所手続きの簡略化、施設基準の弾力化等が提言された。これらの議論を踏まえて、「入所型の中間施設」は、1986(昭和61)年の老人保健法の改正により、「老人保健施設」として制度化された。

 また、医療サイドからも社会的入院の受け皿として在宅福祉サービスに強い関心が寄せられるようになり、1991(平成3)年の老人保健法改正により、訪問看護事業が創設された。

 

3.1990年代−【介護保険への途】

  1.在宅福祉中心への転換

 総合的な要介護高齢者対策は、消費税が導入された後の1989(平成1)年12月、厚生省、大蔵省、自治省の三省合意として「高齢者保健福祉推進10カ年戦略」(平成11年度までの十か年の目標)(ゴールドプラン)が策定されたことで一挙に進展した。ゴールドプランでは、平成11年度までの10年間に総事業6兆円強を投じ、具体的な目標値を掲げて、@ホームヘルパー、ショートステイ、デイサービスセンター、在宅介護支援センターなどの在宅福祉対策、A特別養護老人ホーム、老人保健施設、ケアハウスなどの施設対策、B地域での機能訓練の実施、在宅介護支援センターにおける保健婦・看護婦の計画的配置などの寝たきりの予防策を計画的に進めることが盛り込まれていた。

  1990(平成2)年6月には、3つの福祉審議会の企画分科会合同会議の意見具申を踏まえて、社会福祉関係8法律の改正が行われた。1989(平成1)年3月にまとめられた福祉関係三審議会合同企画分科会の意見具申(「今後の社会福祉のあり方について」)は、@住民に身近な市町村の役割を重視し、A在宅福祉の充実と施設福祉との連携を強化し、B福祉サービス分野での民間事業者、ボランティア団体等の多様な供給主体を育成し、C地域において福祉・保健・医療サービスが有機的連携の下で提供される体制を整備することなどを提言した。

  これを受けて、社会福祉関係8法改正では、@在宅福祉サービスを社会福祉事業として位置づけ、A老人福祉、身体障害者福祉の分野では在宅・施設サービス両方の実施権限を市町村に集中させ、B具体的なサービス整備目標の設定を含む老人保健福祉計画の策定を市町村に義務づけることとした。これにより、市町村を中心とした福祉行政の展開や地方行政における計画的な老人保健福祉の基盤整備の推進が図られていくことになった。

 これらの予算の拡充や制度の整備によって、要介護高齢者のための在宅・施設サービスが、@住民に最も身近な市町村で、A老人保健法による保健・医療サービスと有機的に連携して、Bきめ細かく計画的に提供される体制が曲がりなりにも整備されることになった。  

1994(平成6)年6月の痴呆性老人対策に関する検討会(高齢者関係3審議会の合同委員会)「報告書」では、「痴呆性老人に対するサービスのメニューの一つとして,地域において痴呆性老人が共同生活をすることのできる小規模な場(グループホーム)の整備を検討することが望まれる」とし、既に児童養護や知的障害分野で実践されていたグループホームを痴呆性高齢者にも適用することを提言した。

 

  2.介護制度の検討−措置制度の見直し・介護費用の検討−

  1981(昭和56)年6月、社会福祉施設運営改善検討委員会は、「社会福祉施設の運営をめぐる諸問題についての意見」で、施設の役割が利用の場として認識され、施設数が概ね水準を満たしたことから、施設の種類や「措置」の種類によっては「措置」という考えを改め、「契約」による入所と考える方が妥当な場合が考えられるとした。また、1981(昭和56)年7月、全国社会福祉協議会・施設制度基本問題研究会の「新たな福祉施設活動の展開」では、「近い将来現行の措置制度は、利用者の要求に合わせて内容的に変化を余儀なくされる」可能性を指摘した。このような見解は、「今後の社会福祉のあり方について」(1989(平成元)年の福祉関係三審議会合同企画分科会の意見具申)が、措置制度の機能は必要としたことから一旦頓挫した。

 1989(平成元)年3月 介護費用の社会的負担制度のあり方検討委員会中間報告書「介護費用の社会的負担制度のあり方を求めて」が、介護費用に焦点を当てて新しい社会的負担制度の検討を行った。1989(平成元)年12月の介護対策検討会(厚生事務次官の懇談会)「報告書」では、介護対策の基本的考えとして、「要介護者の生活の質の重視」、「家族介護に関する発想の転換」、「利用者の立場の重視」を挙げ、行政介在の簡素化(契約サービスの拡大)、サービス供給主体の多様化、民間事業の健全育成などを提言した。

 10か年のコールド・プランの中間年にあたる1994(平成6)年には、各市町村の作成した老人保健福祉計画が取りまとめられた。その結果、ゴールドプランのサービス量を大幅に上回る整備を必要とするものであると判明したため、ゴールドプランの改訂(新ゴールドプラン)が行われた。整備目標の引上げ、マンパワーの養成確保やグループホームなどが新たに盛り込まれ、同年12月1995(平成7)年度以降平成11年度までに9兆円を上回る事業費が投じられることとなった。新ゴールドプランの策定の前後から、「措置」から「契約」への動きが生まれてくる。

 1994(平成6)年3月に発表された高齢社会福祉ビジョン懇談会の「21世紀福祉ビジョン」では、高齢者本人の意思に基づいた、自立のための利用型のシステムが提言された。同年5月の介護計画検討会(厚生省老人福祉局長の私的懇談会)「中間報告書」では、「ケアガイドライン」の検討が行われた。1994(平成6)年9月の社会保障将来像委員会の「第二次報告」では、措置から契約への転換と介護保険がはじめて言及され、同年12月、高齢者介護・自立支援システム研究会の「新たな高齢者介護システムの構築を目指して」では、措置制度から介護保険へのより具体的な姿が提示された。このような中、1995(平成7)年4月の全国老人福祉施設協議会「高齢者の「介護」のあり方について」は、措置制度の存続が不可欠とした。

 その後、老人保健審議会における議論を経て、1997(平成9)年12月に介護保健法が成立し、2000(平成12)年4月から実施されることとなった。

(北場 勉)



[1] 1963(昭和38)年2月、社会保障制度審議会「老人福祉法案要綱について」を参照。

[2] 1966(昭和41)年1月、中央社会福祉審議会「養護老人ホーム及び特別養護老人ホームの設備及び運営の基準に関する意見具申」を参照。

[3] 1968(昭和43)年4月、中央社会福祉審議会「老人ホーム・老人向住宅の整備拡充に関する意見」を参照。

[4] 1970(昭和45)年1月、中央社会福祉審議会「老人問題に関する総合的諸施策について」の中間報告を参照。

[5] 1970(昭和45)年9月、厚生省大臣官房企画室、「厚生行政の長期構想−生きがいのある社会をめざして」を参照。

[6] 1974(昭和49)年10月、老人問題懇談会「今後の老人対策についての提言」、1976(昭和51)年3月、全国社会福祉協議会「これからの社会福祉−低成長下におけるそのあり方−」、1982(昭和57)年7月、社会保障長期展望懇談会「社会保障の将来展望について」(提言)を参照。

[7] 1981(昭和56)年7月の臨時行政調査会の「行政改革に関する第一次答申」、1982(昭和57)年7月の稟議行政調査会の「行政改革に関する第三次答申」、1983(昭和58)年3月の臨時行政調査会の「行政改革に関する第五次答申」(最終答申)を参照。

[8] 1986(昭和61)年4月の「厚生省高齢者対策企画推進本部報告」、1986(昭和61)年6月の臨時行政改革審議会の「今後における行財政改革の基本方向」を参照。

[9] 1974(昭和49)年8月、中央社会福祉審議会老人福祉専門分科会「有料老人ホームのあり方に関する意見」、大型有料老人ホーム迎陽会サンメディックの倒産を受けて、1981(昭和56)年6月、有料老人ホーム懇談会「有料老人ホームの健全育成と利用者保護に関する当面の改善方策について」、1988(昭和63)年10月、厚生大臣官房老人保健福祉部長「有料老人ホーム設置運営指導指針の改正について」、1991(平成3)年3月、老福第72号、厚生省大臣官房老人保健福祉部長「有料老人ホームの設置運営指導指針の全部改正について」を参照。

[10] 1979(昭和54)年11月、中央社会福祉審議会「養護老人ホーム及び特別養護老人ホームに係る費用徴収基準の当面の改善について」、1985(昭和60)年12月、中央社会福祉審議会老人福祉専門分科会「養護老人ホーム及び特別養護老人ホームに係る費用徴収基準の当面の改訂方針について」(意見具申)を参照。

[11] 1985(昭和60)年1月、社会保障制度審議会「老人福祉の在り方について」を参照。

[12] 1980(昭和55)年3月、武蔵野市老後生活保障基金制度検討委員会「研究報告書」を参照。

[13] 1981(昭和56)年4月、東京都痴呆性老人対策委員会「痴呆性老人に対する福祉施策について」、1982(昭和57)年11月、公衆衛生審議会「老人精神保健対策に関する意見」、1982(昭和57)年12月、岡山県痴呆性老人対策研究会「痴呆性老人対策調査研究報告書」、1984(昭和59)年1月、神奈川県痴呆老人問題研究会「痴呆老人問題研究会報告」、1984(昭和59)年3月、山形県社会福祉審議会「本県における痴呆性老人及びその家族をとりまく問題点と福祉施策のあり方について」(答申)、1985(昭和60)年2月、岐阜県老人保健事業調査委員会、「岐阜県における痴呆性老人施策の提言」、1985(昭和60)年2月、宮崎県痴呆性老人問題懇談会「痴呆性老人問題に関する中間報告」、1985(昭和60)年3月、広島県老人性痴呆問題研究協議会「老人性痴呆問題研究協議報告書」、1985(昭和60)年4月、福岡県痴呆性老人対策研究委員会、「痴呆性老人対策研究委員会報告書」、1987(昭和62)年8月、痴呆性老人対策推進本部「痴呆性老人対策推進本部報告」、1988(昭和63)年8月、痴呆性老人対策専門家会議「痴呆性老人対策専門家会議提言」、1991(平成3)年、地方老人保健福祉計画研究班・痴呆性老人調査・ニーズ部会「老人保健福祉計画策定に当たっての痴呆性老人の把握方法等について」、1993(平成5)年10月、厚生省老人保健福祉局長通知(老健第135号)「「痴呆性老人の日常生活自立度判定基準」の活用について」、1994(平成6)年7月、初老期における痴呆対策検討委員会「初老期における痴呆対策検討委員会報告」を参照。

[14] 1975(昭和50)年7月、国保中央会「国保基本問題研究会第1次中間報告」、1977(昭和52)年10月、老人保健医療問題懇談会「今後の老人保健医療対策のあり方について」、1979(昭和54)年10月、橋本構想、1980(昭和55)年7月、全国町村会「老人保健医療制度の構想」、1980(昭和55)年9月、厚生省老人保健医療対策本部「老人保健制度第一次試案」、1980(昭和55)年11月、厚生省老人保健医療対策本部「老人保健制度における費用負担割合について」、1980(昭和55)年12月、社会保障制度審議会「老人保健医療対策について」(意見)、1981(昭和56)年4月、日本労働組合総評議会「「高齢者等保健医療制度」の創設について」、1981(昭和56)年4月、社会保障制度審議会「老人保健法の制定について」を参照。