ページ内を移動するためのリンクです。


国立社

会保障・人口問題研究所

  • 文字サイズ


 

1  人 口

 

1.過剰人口問題から静止人口論へ

戦後まもないわが国では、第1次ベビーブーム(1947(昭和22)〜1949(昭和24)年)にともない出生数が急増した。これは人口収容能力を超える過剰人口問題として認識され、産児制限と海外移住の両面から政策的対応が行われた。産児制限についてその後の経過を記すと、1948(昭和23)年には優生保護法が成立・施行され、翌1949(昭和24)年には「経済的理由」による中絶を容認する規定が追加された。これを受けて避妊方法の普及を含む受胎調整運動が強力に推進されると、1950年代には合計特殊出生率(TFR: Total Fertility Rate=1人の女性が生涯に平均して産む子ども数の推計値)が4人台から2人台へと急落した。一方で死亡率は、医学・公衆衛生の進歩を反映して戦後の約10年間で半減し、わが国は「多産多死」から「多産少死」を経て「少産少死」へといたる人口転換を達成した。その後、わが国の65歳以上高齢者人口は、1970(昭和45)年に総人口の7%を超えてWHOのいう「高齢化社会」に突入した(なお、1994(平成6)年には総人口の14%を超え、「高齢社会」に突入した)。

人口問題審議会では、少なくとも1970年代前半において、地球規模の食糧問題への危惧や石油危機などの時代背景と、わが国の人口が20世紀末までに相当程度増加するとの予想とを踏まえて、人口再生産力が損なわれる事態が危惧されており、「静止人口」−純再生率が1となり、人口が増加も減少もしない状態−になるのが望ましいとの認識がとられていた[1]

 

2.出生力の低下と少子化対策論

1950年代後半〜1970年代前半にかけて、ほぼ2.1前後で安定していた合計特殊出生率は、1970年代半ば以降は急激に低下し、人口置換水準(人口を維持するために必要な合計特殊出生率の水準)2.08を大きく割り込むようになった。この趨勢がそのまま継続すれば、21世紀には人口減少社会に突入するとの予測が提起されると、高齢化社会を支えるだけの経済的・社会的活力が失われるとの危惧が生じた。1988(昭和63)年に人口問題審議会は、人口を長期的に安定した規模に保ち、人口の急激な高齢化の進行を緩和し、同時に家庭基盤の充実を図るという観点から、家族形成、家庭生活、出産・育児・老親扶養等への支援策の充実を提言した[2]。しかし、その後も少子化の趨勢は続いた。1990(平成2)年には、前年(1989(平成元)年)の合計特殊出生率が、1966(昭和41)年の「ひのえうま」によって一時的に低下した水準(1.58)をさらに下回る1.57にまで低下したことが判明し、「1.57ショック」と呼ばれた。

出生力低下によって21世紀において人口減少社会が到来することが予測されると、人口問題は産業および社会保障制度の持続可能性との関連で論じられるとともに、出生力の回復を促す方向での本格的な政策的対応が要請されるようになった。ただし、少子化や人口減少社会の評価(わが国にとってプラスかマイナスか)は分かれており、また、少子化の原因も諸説提起されているところである。

このため、1997(平成9)年に人口問題審議会は、原理的な問題−少子化・人口減少は悪いことか?/少子化・人口減少に対して公的な施策を講じるべきか?/少子化・人口減少対策に本当に効果はあるのか?−に立ち返って、少子化の要因とその背景、少子化がもたらす人口減少社会への対応のあり方等についての様々な論点や考え方を整理し、国民の選択を促した[3]

それによれば、未婚率の上昇(晩婚化の進行と生涯未婚率の上昇)が少子化の主たる要因であり−既婚者の平均出生児数は昭和50年代前半以降2.2人程度と安定している−、少子化には経済・社会面に概ねマイナスの影響をもたらすとした上で、少子化の影響のみならず少子化の要因にも政策的対応を行うべきであるとした。具体的には固定的な男女の役割分業や雇用慣行を是正し、育児と仕事の両立に向けた子育て支援の効果的な推進を図ることが望ましいとした。

 

3.少子化対策の展開

ただし、実際の政策的対応は本報告書に先立って省庁の枠を超えて開始されている。子育て支援の場合、いわゆる「エンゼルプラン」[4]と「緊急保育対策等5カ年事業」[5]がそれに当たる。「エンゼルプラン」では「仕事と育児との両立のための雇用環境の整備」あるいは「多様な保育サービスの充実」などに向けた施策を重点的に取り組むべきことが規定された。また、「緊急保育対策等5カ年事業」では「エンゼルプラン」を具体化して、1999(平成11)年度を目標とした保育サービス等の量的目標が定められた。さらに、1998(平成10)年度版『厚生白書』[6]では、「子どもを生み育てることに『夢』を持てる社会を」という副題のもと、少子社会特集が組まれた。1999(平成11)年には、人口問題審議会でも、わが国における少子化対策において参考となる情報を提供するために、諸外国における少子化の動向と関連施策を整理した[7]。1999(平成11)年には少子化対策推進関係閣僚会議が「少子化対策推進基本方針」を策定した。これは、1998(平成12)年の「少子化への対応を考える有識者会議」の提言[8]を踏まえて定められた、政府が中長期的に進めるべき総合的な少子化対策の指針であった。また、そこで掲げられた重点施策の具体的実施計画として、2004(平成16)年度に向けた保育サービス等の量的目標であるいわゆる「新エンゼルプラン」[9]が策定された[10]

 

4.外国人労働力受入れという選択肢の検討

ところで、経済および社会保障制度の持続可能性という視点からすれば、出生力の回復だけでなく、海外からの外国人労働者の移入という選択肢も考えられる。1992(平成4)年に人口問題審議会は、グローバル化を背景に国際人口移動が急速に増大する中、わが国の人口構造、社会経済、国民生活、文化などにどのような影響が及ぶかを整理した[11]。ただし、当時はわが国に在留する外国人労働者の実態把握を含む、調査研究の蓄積段階であった。また、前掲の人口問題審議会1997(平成9)年報告書[12]でも、「出生率の低下を補完できるほどの急速かつ大規模な外国人の受入れは現実的でない」としており、現時点での移民・ないしは単純労働力としての外国人労働力移入という選択肢を斥けたのである[13]

 

5.女性のリプロダクティブ・ヘルス/ライツの尊重

1990年代は、人口問題における女性の位置づけが大きく変化した時代でもあった。従来、出生の抑制・促進を問わず、女性は身体を管理される「客体」として扱われる側面があった。これに対して、女性が自らの身体・性・生殖を自ら保有・管理する「主体」でありたいとする声が「リプロダクティブ・ヘルス(性と生殖に関する健康)」[14]の促進および「リプロダクティブ・ライツ(性と生殖に関する権利)」[15]の尊重の形で徐々に高まってきた。

わが国の人口問題の中心が、少子化とまもなく到来する人口減少社会への対応に移行した後も、世界では途上国を中心に人口爆発が続いており、その抑制が焦点になっていた。1994(平成6)年には、人口と接続可能な経済成長および開発をテーマとして、国際人口・開発会議(ICPD)がエジプトのカイロで開催された。この場において、このような人口問題は、政府主導のマクロレベルでの人口抑制政策を取ることよりも、ミクロレベル、特に生殖の自己決定権を女性に保証することを通して解決することができるとの主張が、フェミニストなどから提起された。この会議の結果、1995年から2015年までの新しい「行動計画」[16]が179ヵ国によって採択されたが、その第7章では「リプロダクティブ・ヘルス/ライツ」が目標として掲げられた。なお、日本政府がこの会議において提出した報告書[17]では、日本における教育の重視、保健・家族計画の普及、きめ細かい統計調査による行政施策等が、高齢社会等の日本の人口問題の解決のみならず、途上国に対する人口問題に関する国際協力においても、重要な役割を果たすことを指摘している。

国内に再び目を向けると、従来、人口問題は、経済・社会保障の持続可能性を保つなどの目的のもと、「人口資質の向上」という質的な観点からの議論も行われてきた。この視点は形質・体位・体力・学力等の内容を含む多義的なものであるが、優生(学)的な意味合いが入り込む場合も皆無ではなかった。例えば戦後の過剰人口問題が議論されていた次期に制定された旧優生保護法には、精神障害者等に強制的に中絶・不妊手術を行うことを認める条項があったが、これがリプロダクティブ・ヘルス/ライツに反するとして、障害者やフェミニストなどから強い批判を受けてきた。

このような情勢の中、わが国では1996(平成8)年の改正で優生保護法は「母体保護法」に名称が改められるとともに、優性思想に基づく条文は削除された。また、1997年(平成9)年の人口問題審議会報告書(前掲)[18]でも、「優生学的見地に立って人口を論じてはならないこと」が明記された。

 

(菊地英明)



[1] 1974(昭和49)年4月、人口問題審議会「日本人口の動向−静止人口をめざして−」を参照。

[2] 1988(昭和63)年7月、人口問題審議会「日本の人口・日本の家族」を参照。

[4] 1994(平成6)年12月、文部、厚生、労働、建設4大臣合意「今後の子育て支援のための施策の基本的方向について(エンゼルプラン)」を参照。

[5] 1994(平成6)年12月、大蔵・厚生・自治大臣の合意により「当面の緊急保育対策等を推進するための基本的考え方(緊急保育対策等5カ年事業)」が策定された。「「緊急保育対策等5か年事業」の概要」を参照。

[6]『平成10年度版厚生白書 少子社会を考える : 子どもを産み育てることに「夢」を持てる社会を』ぎょうせい、1998を参照。

[7] 1999(平成11)年6月、人口問題審議会「少子化に関連する諸外国の取組みについて」を参照。

[8] 1998(平成10)年12月、少子化への対応を考える有識者会議「夢ある家庭づくりや子育てができる社会を築くために」を参照。

[9] 1999(平成11)年12月、大蔵、文部、厚生、労働、建設、自治6大臣合意「重点的に推進すべき少子化対策の具体的計画(新エンゼルプラン)」を参照。

[10]なお、その後も「次世代育成支援対策推進法」・「少子化社会対策基本法」の制定(いずれも2003(平成15)年)、「少子化社会対策大綱」の閣議決定(2004(平成16)年)などの形で、施策のさらなる拡充が図られている。また、本稿執筆時点においては、「新エンゼルプラン」に代わる新しいエンゼルプランの策定に向けて、少子化社会対策会議において検討が行われているところである。

[11] 1992(平成4)年7月、人口問題審議会「国際人口移動の実態−日本の場合・世界の場合−」を参照。

[12]前掲1997(平成9)年10月、人口問題審議会「少子化に関する基本的考え方について−人口減少社会、未来への責任と選択−」を参照。

[13]ただし、本稿執筆時点において、「第三次出入国管理基本計画」の策定にあたり、外国人労働者の受け入れを、専門的・技術的分野以外にも拡大するか否かをめぐって、法務省を中心に検討が行われているところである。

[14]「人びとが安全で満ち足りた性生活を営むことができ、生殖能力をもち、子どもを産むか産まないか、いつ産むか、何人産むかを決める自由をもつこと」を指す(外務省監訳『国際人口・開発会議「行動計画」――カイロ国際人口・開発会議(1994年9月5−13日)採択文書――』世界の動き社、1996、35頁)。

[15]「すべてのカップルと個人が自分たちの子どもの数、出産間隔、ならびに出産する時を責任を持って自由に決定でき、そのための情報と手段を得ることができるという基本的権利、ならびに最高水準の性に関する健康及びリプロダクティブヘルスを得る権利」のことを指す(外務省監訳『国際人口・開発会議「行動計画」――カイロ国際人口・開発会議(1994年9月5−13日)採択文書――』世界の動き社、1996、35頁)。

[16]外務省監訳『国際人口・開発会議「行動計画」――カイロ国際人口・開発会議(1994年9月5−13日)採択文書――』世界の動き社、1996を参照。

[17] 1994(平成6)年9月、「国際人口開発会議 日本政府報告書」を参照。

[18]前掲1997(平成9)年10月、人口問題審議会「少子化に関する基本的考え方について−人口減少社会、未来への責任と選択−」を参照。