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国立社

会保障・人口問題研究所

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12 社会福祉

 

1.はじめに―80年代直前の状況―

1950年代後半から70年代前半にかけて、わが国は空前の高度経済成長を謳歌した。これを背景に社会福祉・社会保障の体制整備と拡充が図られ、1973(昭和48)年には政府が「福祉元年」と宣言するにいたった。しかし、同年および1978(昭和53)年と二度のオイルショックを経て、様相は一変する。経済は高度成長から低成長へと変化し、福祉は財政的な重荷と見做され、見直しの対象となった。

 

2.1980年代

1.1980年代における社会福祉の理念

1979(昭和54)年8月、「新経済社会7ヵ年戦略」が閣議決定された。同戦略は、個人の自助努力と家庭や近隣・地域社会等の連帯を基礎としてわが国独自の日本型福祉社会の実現を目指す「日本型福祉社会」論を展開し、80年代の社会福祉を規定していくものとなった。

 

2.臨調行革路線の福祉見直し

1981(昭和56)年、「肥大化」した行財政の見直しと「増税なき財政再建」のための方策を検討するため、臨時行政調査会(以下、臨調)が設置された。臨調は、累次の答申[1]を重ね、1983(昭和58)年、高率補助金の総合的見直しを求める旨の最終答申[2]を行った。これを受けて、1985(昭和60)年度には暫定的に社会福祉施設の措置費の国庫負担割合を8割から7割に削減する措置がとられた。

1986(昭和61)年度以降の取扱いの検討を委ねられた補助金問題検討会は、以下の内容を骨子とする意見をまとめた[3]。それは、地方の自主性を尊重する観点から入所措置事務を機関委任事務から団体委任事務に改めること、社会福祉施設の措置費の国庫負担割合を5割に削減すること、在宅福祉サービスについては福祉の一般化の観点から国の補助割合を5割(従前3分の1)に引き上げることであった。これらは1986(昭和61)年度から実施にうつされた。

 臨調は、臨時行政改革推進審議会(以下、行革審)に引き継がれ、行革審は1990(平成2)年2月に最終報告[4]を行って役割を終えた。同報告は、公私の役割分担を基礎とした「活力ある福祉社会」を目指すために、国民負担率の抑制を図り、規制の削減、政府事業の見直し、民間活力の活用を推進していくことを提言した。

 

3.社会福祉施設における費用徴収

 1980年代には社会福祉施設における費用徴収の見直しも進められた。1980(昭和55)年、老人福祉施設では、入所者本人の収入認定を踏まえて費用を徴収し、限度額に満たない部分を扶養義務者の納税額に応じて徴収する、いわゆる「二本立て徴収方式」が導入された[5]。続いて、1984(昭和59)年には、身体障害者福祉法が改正され、施設利用費用負担規定が創設され[6]、1985(昭和60)年の児童福祉審議会および身体障害者福祉審議会の意見具申[7]を受けて、1986(昭和61)年からは身体障害者施設、知的障害者施設において二本立て徴収が始まった。

 

4.福祉関係者による福祉改革案とその実施

 臨調行革路線の福祉見直しが進むなかで、福祉サイドからの福祉改革の検討も進められた。1986(昭和61)年、全国社会福祉協議会の社会福祉基本構想懇談会は、国と地方の役割の見直し、費用負担方式の合理化、在宅福祉の推進、福祉の供給システムの多元化などの提案を行った。そこには、財政再建・行政改革を契機とする社会福祉制度改革が、財政面の辻褄併せの便法なのではなく、21世紀の社会福祉を切り開くため避けて通れない改革であるとの認識があった[8]

 厚生省においては、1986(昭和61)年1月に福祉関係三審議会合同企画分科会を設置し、社会福祉全般の中長期的視点に立った見直しを始めた。1989(平成1)年、同分科会は「今後の社会福祉のあり方について」と題する意見具申を行い、市町村の役割重視、在宅福祉の充実、民間福祉サービスの育成等について提言した。意見具申は、見直しの具体的方策も示し、福祉サービスの供給主体のあり方については、福祉需要に対応するため、公・民あるいは両者の協働方式による供給主体がそれぞれの特性を活かしながら多様な福祉サービスを展開する必要がある、とした。意見具申の趣旨は、1990(平成2)年にいわゆる社会福祉八法改正(老人福祉法等の一部を改正する法律)として法制化され、措置事務の市町村への移譲、在宅福祉サービスの法定化などが実現した。

 

3.1990年代

1.社会福祉の新たな理念の模索と基礎構造改革の胎動

1993(平成5)年2月、社会保障制度審議会社会保障将来像委員会が第一次報告を行った。同報告は、21世紀に耐え得る社会保障を構築するためには見直しが必要であるとの認識に立ち、社会保障は社会的連帯のあかしであることを強調しつつ、自助、自立、家族責任の必要性を確認した。また、同報告は応分の負担、利用者の意思によるサービスの選択、公的役割の限定の必要性も指摘した。

 同年5月、「これからの保育所懇談会」(厚生省児童家庭局長の私的諮問機関)は、保育サービスの画一さを措置制度の弊害ではないかと指摘し、ニーズに即応した柔軟な保育サービスを提供するため、一定の場合の措置以外の入所方式の導入、一部業務の外部委託化、応益原則を加味した費用徴収区分の簡素化などを提言した[9]。この報告も踏まえ、「保育問題検討会」(厚生省事務次官の私的諮問機関)は保育制度のあり方について検討したが、結論を得るにいたらなかった。そのため1994(平成6)年1月に措置制度の堅持と直接契約方式の導入との両論を併記した報告を行った[10]

 1994(平成6)年3月に「高齢社会福祉ビジョン懇談会」(厚生大臣の私的懇談会)は、高齢者本人の意思に基いたサービス選択が可能であり、介護費用を国民が公平に負担するシステムを提言[11]した。9月には、社会保障制度審議会社会保障将来像委員会が第二次報告において、福祉の分野について措置から契約への転換の必要性を指摘し、利用者の主体的選択を尊重するシステムとして介護保険制度に言及した。さらに、12月には、「高齢者介護・自立支援システム研究会」(厚生省内に設置された高齢者介護対策本部の勉強会)が介護保険制度のより具体的な姿を提示した[12]

 1995(平成7)年7月、社会保障制度審議会は、社会保障将来像委員会の2度の報告を取りまとめた「社会保障制度の再構築―安心して暮らせる21世紀の社会を目指して」と題する勧告を行った。その内容は、社会保障における国と国民、国と地方自治体などのそれぞれの役割・分担に関する新たな認識と、諸制度−特に社会福祉制度の変革−の方向性を示すもので、社会保障・社会福祉のひとつのメルクマールとなるものであった。

 

2.規制緩和の流れ

 1990(平成2)年にバブル経済が崩壊し、平成不況が続く中、政府は経済活性化の糸口を規制緩和へと求めていく。1995(平成7)年に閣議決定された「構造改革のための経済社会計画」では、規制緩和は競争を活発化させ、日本経済の高コスト構造を是正し、新規事業を創出するものであるとして、社会的規制は必要最小限にすべきことを提示した。そのうえで、自立のための社会的支援システムの構築を目指すため、民間部門のサービス提供者も含めた自由な市場競争の促進、介護費用の社会保険化、公的保育所における契約型の保育サービス提供の導入、そして措置制度の総合的見直しなどに言及した。

 

3.介護保険法の制定

 高齢者介護分野の社会保険化という方向性が示されるなか、1995(平成7)年2月からは、老人保健福祉審議会において高齢者介護問題について検討が始まり、法制化・制度化に向けての動きが具体化した。同年7月の同審議会の中間報告は、高齢者自身の自立した生活のための社会的支援が基本であるとし、在宅介護を重視し、本人の選択とそれを支援するケアマネジメントによる利用者本位のサービスの必要性を指摘した。そのうえで、サービスの選択の確保の権利性、負担と給付の明確性、負担に対する国民の理解の得やすさの三点と公的責任とを勘案して、公費を組み入れた社会保険方式のシステムを検討すべきであるとした。1996(平成8)年には、第二次報告において、介護サービスの具体的な内容、水準、利用手続やその実現のための介護サービス基盤の整備の在り方についての検討結果が示された。

 この後、費用負担や保険者のあり方などについてさらに検討が進められ、1997(平成9)年、地域住民に最も近い市町村が保険者となり、都道府県・国が重層的に支える、介護保険法が制定された[13]。介護保険制度は2000(平成12)年度に施行され、介護サービスの需要と供給の双方を急速に伸長させるものとなった。(なお、介護保険法の制定にいたる背景、検討経過、制度内容等の詳細については、「介護保険」参照)

 

4.児童福祉法の改正

 同時期、「児童家庭福祉制度の再構築」を目指す検討も進められた。1996(平成8)年、児童福祉審議会基本問題部会は、児童保育施策等について施策の方向性を示す報告を行った[14]。報告は、利用者による選択ができない仕組みとなっている保育所制度を選択できる仕組みとすべきであるとしつつ、優先度の高い人が利用できなくなることがないようにするため、申し込みは市町村に対して行うことが適当であるとした。また、保育料の負担については、保育所利用の普遍化を受けて、「サラリーマン世帯にとって負担感・不公平感が強い所得税額にリンクした応能負担方式の保育料負担から、保育コストや子どもの年齢などに配慮した均一の保育料体系に改める方が、公平な負担にかなう」とした。翌1997(平成9)年6月、この方針に沿って児童福祉法が改正された。なお、国会の各院厚生委員会における法案の採決にあたっては、「保育費用等に対する公的負担を後退させないこと」など数項目にわたる附帯決議が付された。保育所の入所方式の変更は1998(平成10)年度から実施された。(なお、児童福祉法改正の背景、検討経過、改正内容等の詳細については、「児童福祉」参照)

 

5.社会福祉事業法等の改正

 高齢者介護分野、児童福祉分野の見直しが一段落し、残された障害者福祉分野と社会福祉の基幹部分の見直しを行う「社会福祉の基礎構造改革」の検討が始まった。1997(平成9)年11月、「社会福祉事業等のあり方に関する検討会」(厚生省社会・援護局長の私的検討会)は、「利用者の選択を尊重し、その要望とサービス供給者の都合とを調整する手段として、市場原理をその特性に留意しつつ幅広く活用していく必要がある」として、利用者とサービス供給者との対等な関係の確立、地域における福祉・保健・医療サービスの連携体制の整備、多様な提供主体による福祉サービスへの参入促進、適正な競争を通じた良質なサービスの効率的な提供など改革の方向性を示した。具体的には、措置制度を見直し、個人が自ら選択したサービスを提供者との契約により利用し、これに対して利用サービスと利用者に応じた公費の助成を行う制度(後のいわゆる支援費制度)を検討すべきであるとの報告を行った[15]

公式の検討の場となった中央社会福祉審議会福祉構造改革分科会は、1998(平成10)年6月に先の検討会の報告に沿った、より具体的で詳細な報告[16]を行い、12月には、改革による公的責任の後退はないことを強調する報告[17]を行った。並行して審議を進めた障害者関係の審議会は、支援費制度の導入のほか、障害児や知的障害者の福祉サービス決定権限の市町村への移譲、法定施設(事業)の要件の緩和、障害種別毎になっている各種サービスの相互利用の促進など幅広い内容の報告[18]を行った。これらを受けて、1999(平成11)年に社会福祉事業法等の改正[19]が行われ、障害者福祉分野の支援費制度は2003(平成15)年に施行された。

 

6.引き続く規制緩和の流れ

 構造改革と経済活性化のために規制緩和を進めようとする動きは一層強くなっている。特に保育所に関しては、政府が少子化への対応策として仕事と家庭の両立支援の強化を打ち出し、保育サービスの量的拡充を求めたこともあり、急速に規制緩和が進んだ。1998(平成10)年、年度当初からの入所定員超過[20]、分園の設置[21]、そして短時間勤務保育士の導入[22]が認められた。その後、2000(平成12)年には、従前市町村と社会福祉法人に限定されていた保育所設置主体の制限が撤廃され、NPO・株式会社・学校法人などにも設置が認められ[23]、さらに、従来は自己所有が原則だった土地建物について民間からの貸与が許された[24]

 経済界と政府とが一体となった規制緩和の要求は現在も続いており、特別養護老人ホームの設置主体に関する規制撤廃や保育所と幼稚園の一元化など、社会福祉にとって大きな問題が取り上げられており、その帰趨が今後も注目される。

 

(小島鈴代)



[1]本資料集には、1981(昭和56)年の第一次答申、1982(昭和57年)の第二次答申第三次答申、1983(昭和58)年の第四次答申が収録されている。

[5] 中央社会福祉審議会が1979(昭和54)年に「養護老人ホーム及び特別養護老人ホームに係る費用徴収基準の当面の改善について」において、この費用徴収方式の採用を提言した。

[6] 身体障害者福祉審議会が1982(昭和57)年の「今後における身体障害者福祉を進めるための総合的方策」において、この法改正を提案した。

[13]介護保険法の概要については、介護保険法(あらまし)参照。

[18]身体障害者福祉審議会・中央児童福祉審議会障害福祉部会・公衆衛生審議会精神保健福祉部会合同企画分科会の1997(平成9)年の報告「今後の障害保健福祉施策の在り方について(中間報告の要旨)」および1999(平成11)年の報告「今後の障害保健福祉施策の在り方について」、並びに身体障害者福祉審議会の「今後の身体障害者施策の在り方について」および児童福祉審議会の「今後の知的障害者・障害児施策の在り方について」参照。

[20]厚生省児童家庭局長通知「保育所への入所の円滑化について」および児童家庭局保育課長通知「保育所への入所の円滑化について」参照。

[21]厚生省児童家庭局長通知「保育所分園の設置運営について」参照。

[22]厚生省児童家庭局長通知「保育所における短時間勤務の保母の導入について」参照。

[23]厚生省児童家庭局長通知「保育所の設置認可等について」参照。