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国立社

会保障・人口問題研究所

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8 雇用政策・雇用保険

 

1.はじめに

本資料集では、旧労働省が所管した制度のうち、雇用対策基本計画、雇用保険、最低賃金および新しい雇用政策と見なしうる領域として高齢者雇用、男女雇用機会均等政策、パート雇用政策、地域雇用政策、障害者雇用政策、看護・介護労働政策に関わる資料を収録した。雇用に関わるリスクを分散する社会保険が社会保障に含められることは大方の賛同が得られると思われる。しかし、それ以外の雇用政策についてはどこまでを社会保障とみなすのか定説はないといってよい。ここでは厳密な定義にこだわることなく、当該期間の雇用形態の新しいトレンドのうち、そのような政策が不在であれば雇用が不安定化するような領域に着目して対象領域を選んだ。ただし、看護・介護労働政策はそれだけでは十分ではなく他の医療保障・介護保障政策の基盤を整備する領域としても収載する必要があると判断した。

 収載資料に基づいて、簡単に1980(昭和55)年から1990年代末までの雇用政策の基調を見ておこう。1980年代後半から1990年代初頭のいわゆる「バブル期」を挟んで、日本のマクロ的な経済状態は激変した。このため景気動向に機敏に対応した雇用政策を打ち出す必要があった。しかしながら、一時的な景気動向に関わらない中長期的な趨勢も存在する。1980年以降のわが国の雇用政策の基調として、(1)労働力人口の高齢化に対応した中高年齢雇用対策の拡充、(2)女性労働力率の上昇に対応した機会均等政策の整備、(3)パート化・派遣労働など「非正規雇用」の増大に対応した法整備に伴う措置、(4)障害者雇用政策の漸次的充実、を指摘することができる。「バブル崩壊」後に登場した新たな動向として、(5)1990年代半ばにホワイトカラーの雇用問題が政策課題として登場し、(6)育児休業・介護休業など家族ケアと雇用との調整、(7)1990年代末に若年雇用問題が雇用政策の課題として加わってきた。ここではまず雇用対策基本計画によって当該期の雇用情勢と雇用政策の基本を確認し、続いて個別の制度の展開をたどることにしたい。

 

2.雇用対策基本計画

 雇用対策法に基づいて「雇用対策基本計画」の策定が義務づけられている。雇用対策基本計画は雇用政策全般を方向付けるもので、最も重要な政策指針であるといってよい。ここでは1979(昭和54)年の第4次基本計画から1999(平成11)年の第9次基本計画までの本文を収録した。

 1979(昭和54)年の第4次雇用対策基本計画では、資源.エネルギー問題,国際経済環境の変化,物価問題など「内外の制約条件」が生じているため「かつてのような高い経済成長は期待できない」ことを確認している。労働力需要では第3次産業、特に「社会福祉,医療保健,文化教養等の社会サービス分野」の需要が旺盛であるとみなした。労働力供給の趨勢について「技能労働者不足」状態が継続しているとともに、「高齢化」「女子労働力の増加」「就業率の低下」が進展していることを確認している。すなわち1970年代末において、新しい雇用問題の萌芽が形成されており、政策的対応が検討されつつあったことがうかがえる。とりわけ労働力供給の高齢化について多くの紙幅をさいており、最重点課題となりつつあったとみてよい。この時の政策目標は計画終了時の1985(昭和61)年の完全失業率を「1.7%程度以下に抑える」ことを目標にした。

 1983(昭和58)年の第5次基本計画では、「産業構造の転換」に着目し、「失業の水準が今後高まる」恐れがあること、「地域雇用問題」が発生する恐れがあることを基調とした内容となっている。その構造転換が進展する中で、それまでのところ国際的にみて「比較的良好な」労働市場を達成してきたが、その理由として「労使双方の優れた適応力と雇用安定への不断の努力に負うところが大きい」ことを挙げ、日本の労使関係を積極的に評価する表現が掲げられた。そして、今後も「労使の適応力と努力に期待するところが大き」いと述べた。労働力人口の高齢化についての表現は一段と詳しくなり、高年齢者が増大し「需要と供給の円滑な結合が進まず」失業者が増大する恐れがあると指摘した。すなわち、高年齢者の失業問題が最重要課題とされた。また「生涯職業能力」という概念が提唱され、「計画的な職業教育」が提唱されたことも注目に値する。この時に新たに盛り込まれた事柄として、労働時間の短縮、大学生卒業者への情報提供、外国人研修制度や海外における職業訓練援助がある。

 1988(昭和60)年の第6次基本計画ではプラザ合意以後の急激な円高による産業構造の急速な転換を背景に「国際化」と「内需主導」がクローズアップされた。これと関わって「労働時間の短縮」が政策課題として浮上した。すなわち、外国と比較して長い労働時間が社会問題となり欧米のライフスタイルを念頭においた「ゆとりあるライフスタイル」に転換することが望ましいとされた。また、内需拡大のためには「個人消費の拡大」が必要とされ、その手段として労働時間の短縮が掲げられた。日本的労使関係を積極的に評価する表現は後景に退きつつあり、企業の海外進出、労働時間短縮、地域経済活性化、高齢者雇用など様々な課題につき「労使による密接な連携」を期待する表現にとって代わられた。「国際化」との関わりで「企業の海外進出に伴う雇用への影響」という表現で産業空洞化に対する懸念と外国に派遣される日本人従業員の処遇のあり方に言及している。また、来日する外国人労働者について特に一項を設けて「慎重かつ速やかに」対策を立案することがうたわれた。だが、全体としてみた場合、雇用対策の焦点をなしたのは高齢化問題であった。65歳までの「継続雇用」という表現で「定年延長」「再雇用」「勤務延長」など多様な方法が奨励されることになった。また、労働者が中年の時期から引退後の生活設計を構想しうるように、企業の賃金・人事管理を指導することが明記されたことも注目に値する。限定的とはいえ、高齢者雇用政策という観点から、行政が企業の人事管理に介入する道が開かれたからである。女子労働政策に関する叙述も格段に増えた。これは男女雇用機会均等法の成立によるところも大きいと考えられる。

 1992(平成4)年の第7次基本計画は、いわゆる「バブル経済」の終焉直後に策定されたものであるが、雇用情勢について「求人が求職を上回る状態が続き、企業の労働力不足感についても依然根強いものとなっている」ばかりでなく、若年労働人口の減少傾向が続き「労働力供給制約」の時代が到来するという認識を示した。そのような時代に対応するためには「生産性の向上が不可欠」であるが、同時に「生活大国の実現」をはからねばならないとし、そのためには労働強化ではなく「省力化・効率化」を進めることが肝要であると述べた。今後の雇用政策の理念は「人間尊重」の「魅力ある質の高い雇用機会」の実現にあるとした。労働と生活とのバランスをはかることが強調された。雇用対策の基本は、人手不足感の強い業種への労働力の移動促進、省力化・効率化の促進、労働時間の短縮にまとめられた。生活に対する視点が、第6次の「内需拡大」から「人間尊重」へと変化していった。このような中で中高年齢者の雇用対策は引き続き最も重要な政策課題とされたが、これに加えて女子雇用対策と若年労働者対策のウエイトが高まってきた。雇用機会均等政策に加えて、労働と生活とのバランスという視点が強調された。この基本計画で特に目を惹くのは「外国人労働者問題」に関する叙述である。そこでは「我が国の労働力不足への対応といった視点から外国人労働者の受入れを考えることは適当でなく、労働力不足については、省力化、効率化等を推進し、労働力供給制約に対応した産業、雇用構造をつくり上げることによって対応することが重要である」とのべ、門戸開放を原則として否定した。「労働力供給制約」の時代も国内の労働市場の再編によって乗り切るということが宣言されたといってよい。

 1995(平成7)年の第8次基本計画は、第7次から3年経過して策定された。従来4・5年毎に策定されてきた基本計画が3年目に策定されたことは、この間の雇用情勢が予想をはるかに超えた展開を見せたことを示している。基本計画の冒頭では「バブルの崩壊以降の戦後2番目の長期景気後退に加え、円高の進行等による国際競争

力の低下、今後の我が国経済を牽引し雇用の大きな受け皿となる産業の不在への懸念

等が、我が国経済の先行きに不透明感をもたらしている」と深刻な認識を示した。そして国民は、経済面、生活面について「様々な不安や不満」を強く感じるようになってきていると指摘し、政府と民間、企業間、企業と個人の「もたれあい」が問題とされるようになり、今後は「自由な企業と個人の主体性」をいかし、「公正なルール」の下に経済の活力と国民の豊かさを引き出す内外に開かれた市場の実現が必要であると述べた。ここにはいわゆる行財政の「構造改革」「規制緩和」を志向する発想が強まっていることがうかがえる。「規制緩和」による失業者増大を防止するため、「失業なき労働移動」が達成される道を探ることになった。同時に「職場・学校、家庭、地域の時間的バランスがとれた多様な活動を可能とする社会」の実現も必要であると指摘していた。また、産業空洞化に対する危惧、地球環境問題に対する言及が見られる点が注目しうる。高齢化問題に加えて「少子化」に対する危惧が強く表明された。この第8次計画では、かつてないほど詳細に雇用情勢について分析を加え、具体的な政策が書き込まれたという点で注目に値する。例えば、ホワイトカラー雇用対策、起業家支援、外資系企業への情報提供による外資導入の奨励などである。全体としてみた場合、政策の基調は、「規制緩和」政策を促進し、企業の高コスト体質を是正し、起業を促し、さらに高付加価値産業へ労働力を移動させることにより日本経済全体の効率化と国際競争力の強化によって雇用問題に対応しようとするものであった。

 1999(平成11)年の第9次基本計画は序文において4つの重点課題を掲げた。それは(1)「雇用の創出・安定」、(2)「個々人の就業能力(エンプロイアビリティ)を向上させること」、(3)「人々の意欲と能力が生かされる社会」の実現、(4)「国際的視野」に立った雇用政策、の4点である。その多くは第8次計画で掲げられた発想であったが、これまで以上に「転換期」という認識が強まっていることが特徴である。すなわち、労働力供給人口減少の時代を目前にし、市場の「活力」に期待し、高コスト構造を是正し、日本経済の国際競争力を高めることと両立しうるような雇用政策を模索することになった。「エンプロイアビリティ」という言葉には、雇用政策を経済政策のバックボーンにするという意図がうかがえる。このため従来の「起業家支援」に加えて新たに「新規事業創出の機会の拡大」「先端的学術・科学技術研究の推進」を計画の中に含むことになった。高齢化対策は引き続き重要な政策課題として位置づけられた。特に、団塊の世代が引退年齢にさしかかる時期を目前にして大量の高齢者失業が発生する恐れがあることを指摘した。だが注目すべきは「少子化」による労働力供給の制約を強調し、高齢者と女子の労働力供給率を高めることが、日本経済の安定的な成長のためにも不可欠という視点が強調されるにいたったことである。すなわち、従来の60歳代前半層の「失業」対策という視点から、日本経済に不可欠の労働力という位置づけに転換するものであった。また、若年者の雇用問題について詳細な分析が加えられ、「職業意識」の涵養や「生きる力」の醸成など啓蒙的事業を含む雇用対策が検討された。第9次計画は、第8次計画で萌芽的に見られたが、分量が大部になり個別具体的な政策内容を多く含んでおり、従来の総論的な計画という位置づけから踏み込んで、各制度の改革プログラム要綱という性格を有するに至った。それは1990年代の雇用問題が複雑かつ深刻になり、政策展開の機動性が求められたことが背景にあったものと思われる。

 

3.雇用保険

 雇用保険制度の見直しは、中央職業安定審議会に設置された雇用保険部会の検討と審議を経て提案されることが通常の手続きである。ここでは1983(昭和58)年以後の雇用保険部会報告書(1983(昭和58)年、1988(昭和63)年、1993(平成5)年、1999(平成11)年)を収録した。中央職業安定審議会・社会保障制度審議会の関連文書も収録した。

 1983年雇用保険部会報告書は、保険財政の悪化への対応策を構想することを中心的な課題とした。報告書では、受給者の動向について、(1)高齢者の増加、(2)受給回数の増加、(3)受給者の全体的増加、(4)受給者の就職率の悪化、の4点にまとめた。その原因として、(1)給付期間が年齢に比例していること、(2)フルタイム労働を前提とした制度体系であるため、高齢者雇用に馴染まないこと、(3)失業給付金額が再就職賃金を大きく上回り再就職意欲をそいでいること、を指摘した。この報告書をもとに雇用保険の改定がなされ、被保険者期間と給付期間に一定の対応関係を設けられ、再就職手当制度の創設がなされた。

 1988年雇用保険部会報告書は、パートタイム労働者への雇用保険の適用問題と雇用保険4事業の財政基盤の強化をはかることを課題としたものであった。報告書では、パートタイム労働者のなかに、「臨時内職的就労者とは認めがたい者が増加しており、これらの者に対しては雇用保険を適用することが必要である」と述べた。ここにはパートタイム労働者が旧来の定義から逸脱しつつあるという認識が伏在していた。雇用保険制度におけるパートタイムの定義について「1週の所定労働時間が、当該事業において同種の業務に従事する通常の労働者の所定労働時間のおおむね4分の3以上であり、かつ、22時間以上であること」と定義した。雇用保険4事業について、今後は「経済変動と地域問題、高齢化等の雇用問題が極めて密接に関連して起こる」と見通しを示した。そして、「地域雇用対策、高年齢者雇用対策等雇用構造の改善を図るための雇用改善事業は、経済変動に対応するための雇用安定事業との間でその区別がほとんどなくなってきているものといえる」と指摘し、「雇用改善事業を雇用安定事業に統合することと」を提案した。すなわち、従来別個に対応することが可能と見なされてきた地域雇用問題と高齢者雇用問題が重なり合う領域が広がってきたことをその根拠としたのであった。

 1991(平成3)年の中央職業安定審議会「雇用保険制度の適正な運営について」は、いわゆるバブル期の雇用情勢の改善により雇用保険財政が大幅に黒字となったことにともなう保険料率の引き下げ・国庫負担の削減などを提言したものであった。同じ年の1991年雇用保険部会報告では引き下げ率・国庫負担の削減については異論が示された。

 1993年雇用保険部会報告書は大改正を提言するものであった。報告書では、育児や介護など「職業生活の円滑な継続を困難にする要因が増大してきている」こと、定年退職後の高齢者が継続雇用される場合「継続雇用中の賃金が定年前に比して相当程度低下すること」が多く就業意欲を低下させていること、を指摘した。育児休業給付制度と高年齢雇用継続給付の創設を提言した。いずれの制度も「雇用関係の断絶[失業]を伴わない」事例に給付を行うものであり、雇用保険制度は雇用継続支援制度という性格を強めることになった。また、報告書では失業給付を「より効果的、効率的なものとなるように」するために、年齢階層別および雇用保険の被保険者期間の区分を細分化し失業給付の給付期間と対応させることを提言した。例えば、若年失業者の給付期間を90日から60日に短縮する一方で、被保険者期間20年以上の45歳以上被保険者については240日から300日に引き上げた。すなわち、再就職の困難度と過去の雇用保険財政への貢献(被保険者期間)も給付期間決定の要素になった。これについて報告書では「労使に過大の負担となることのない」「きめ細かな対応」であると表明した。

 1999年雇用保険部会報告書では冒頭で「雇用保険制度は、極めて厳しい財政状況に直面している」と述べている。これは不況の長期化により失業給付(求職者給付)が増大してきたことが原因の1つであるが、報告書では「雇用を取り巻く状況の構造的な変化」が背後にあるとの認識を示した。このため単なる財政対策だけでなく、「適用、失業等給付、三事業、負担の各面にわたり…見直しを行い」「制度の再構築を図る」こととした。再構築の基本的方向として、「早期再就職を促進する」ことを目的に「真に必要のある者」に対して「給付の重点化」を行うと述べ、年齢と被保険者期間に対応した現行給付日数の体系を見直すことにした。すなわち「中高年層を中心に倒産.解雇等により離職を余儀なくされた者」に給付を重点化し、定年退職者など「予め再就職の準備ができる者」については給付日数を短縮することを提言した。また、「失業なき労働移動」を促進するため在職中の職業教育訓練に対する給付を拡大することにした。さらに、財政対策として、保険料率を低く抑えてきた1993(平成5)年の「附則暫定措置」を廃止し、保険料率を引き上げることを提言した。また、育児休業給付・介護休業給付の給付率を25%から40%に引上げること(25%から40%に)を提言した。

(菅沼 隆)

 

4.最低賃金

 まず1970年代までの動向を整理すると、最低賃金の決定方式は、労使平等の立場での関与を規定するILO第26号条約批准を目指した1968(昭和43)年法改正により、業者間協定中心方式から審議会中心方式に変更された。全国一律制を求める労働者側と「落ちこぼれ層」低賃金の救済のみに限定する使用者側の間で考え方の隔たりは大きかったが、地域内すべての労働者を包括適用する地域別最低賃金の設定を、産業別や職業別の最低賃金と並行して計画的に行なう旨を中央最低賃金審議会が1970(昭和45)年に答申した結果、1975年度には原則として全国すべての労働者に最低賃金が適用されることとなった。労働者側からの全国一律制要求に対しては、1978年度より地域別最低賃金に目安制度が導入された。

 地域別最低賃金が最低賃金制度の中心となりつつある中で、産業別最低賃金の機能や役割分担の考え方の整理が必要となり、現行産業別賃金の新産業別最低賃金答申への転換プロセスを明示する答申が1981(昭和56)年7月29日に行われた[1]。この答申により、それまでの産業別最低賃金は行政のイニシアティブにより大ぐくりの産業分類で設定されていたものが、今後は労使のイニシアティブにより小分類で行う方式に変更された。さらに労使からの申出の基本要件は、「最低賃金に関する労働協約が適用されている産業」あるいは「事業の公正競争を確保する観点から同種の基幹的労働者について最低賃金の設定が必要な産業」のいずれかであることとして、最低賃金法第16条の四により労使から申出のあったものを審議会が審議・諮問することとされた。この答申に基づく具体的な運用方針は翌1982(昭和57)年1月14日の答申に示された[2]

 現行産業別最低賃金を整理するプロセス等に関する基本的な考え方は、1986(昭和61)年2月14日付け答申に示された[3]。現行産業別最低賃金を一定の経過期間を設けて暫定的に残しつつ、年齢や業種などによる地域別最低賃金への適用除外の設定、さらに新産業別最低賃金への転換のために必要な措置を期間内に計画的、段階的に実施することとされた。

 その後、新産業別最低賃金の適用条件の一つとなる「事業の公正競争」の考え方について、「公正競争ケース」という概念整理が1992(平成4)年5月15日答申で示された[4]

 以上のように、産業別最低賃金は1980年代から90年代前半にかけて新たな形態に移行した。そして、1990年代後半の環境変化の中で、使用者側から、地域別最低賃金がある中で、屋上屋でかつ設定趣旨が極めて不透明な産業別最低賃金そのものを廃止すべきとする強い意見が出されるようになった。一方の労働側は、基幹的労働者に対する産業別最低賃金は、ナショナルミニマムとしての地域別最低賃金とは別個の意義を有するとして、1998(平成10)年12月10日の答申では労使双方の意見統一を図ることができず、産業別最低賃金のあり方の最終結論は21世紀に持ち越されることとなった[5]

(森田慎二郎)

 

5.関連雇用政策

1.高齢者雇用

 高齢者の雇用問題は労働省内では1970年代半ばから認識されようになっていた。1979(昭和54)年労働大臣名で雇用審議会に「定年制延長」に関して諮問がなされ、雇用審議会は定年延長部会を設置し検討を行った。その結果、1981(昭和56)年1月「雇用審議会答申第16号」として答申された。そこでは経営者団体・企業・労働組合など関係者に対するヒアリングと調査を行った。その結果、定年延長法制化問題については、「労使の意見に隔たりがある」現状からみて、今後、「定年延長の進展の動向を見極めつつ検討を続ける」必要があるという、曖昧なものとなった。法的強制を伴わない「行政指導」「情報提供」、職場改善のための「融資」援助などが主たる政策手段とされた。また既にこの時期に「生涯訓練体制の整備」がうたわれていたことが注目に値する。労働者のライフサイクルを視野におさめた雇用政策が検討されつつあったからである。1982(昭和57)年8月の「雇用審議会答申第17号」でも定年制の法制化は労使の見解の違いが解消されておらず「問題がある」とした。

1984(昭和59)年4月には60歳台前半層雇用対策研究会が「60歳台前半層雇用対策研究会第1回報告」を提出した。報告では、日本の人口が「世界に例をみない速度で高齢化しつつあ」り、「60歳台前半層の雇用の確保は極めて重要な課題である」と指摘した。そして、雇用の確保には「高齢者が長年にわたり蓄積してきた技能、経験を生かすことができる同一企業あるいは同一企業グループ内における雇用の継続が一般的には最も効果的である」とキャリアの連続性の重要性を指摘した。また、雇用形態は「多様」であるべきであることも指摘した。この頃、労使とも60歳台前半層の雇用問題について「あまり強い問題意識を持っていない」状況であったといわれるが、その中で労使で「検討の場」を設けることを提唱したことは注目しうる。1985(昭和60)年の60歳台前半層雇用対策研究会「60歳台前半層雇用対策研究会第2回報告」では「高齢者の雇用情勢は、ますます厳しくなり、深刻化することが懸念される」と問題の重大性を一層強く訴えた。この報告では特に公共職業安定所が果たすべき役割について詳細に叙述している点が特徴である。

1985(昭和60)年10月の「雇用審議会答申第19号」はそれまでの議論を整理し、「高年齢者等の雇用の安定等に関する法律(高年齢者雇用安定法)」制定に向けて地ならしをする役割があった。この19号答申では、懸案事項であった定年制の立法化について「意見の対立」が埋まらないことを指摘し、立法化提案を断念した。したがって定年制立法化を除く「高年齢者の雇用・就業の場の維持・拡大の推進に関する規定を設けるという体系の法的整備」が必要であると結論づけた。これにもとづいて「中高年齢者等の雇用の促進に関する特別措置法」を改定することで高年齢者雇用安定法が制定された。

高齢者雇用問題は時を経るとともにいっそう雇用政策の中で重要な課題となっていった。1990(平成2)年3月の「雇用審議会答申第21号」では「雇用失業情勢を見ると、全体が好転しているにもかかわらず、高年齢者については、なお改善される傾向が見られ」ないとした。そして、「労働力需要の若年志向が続くとすれば、労働力の過剰と不足が併存する事態になりかねない」と警鐘を鳴らし、企業に対し「従来のような強い若年志向を転換」することを訴えた。

1993(平成5)年12月の「雇用審議会答申第23号」は、バブル崩壊後に雇用情勢が悪化しつつある時期に提出された。今後厳しい雇用調整が発生する恐れがあり「高齢者、障害者等再就職が困難な者に強い影響が及ぶことが懸念される」と述べた。キャリアが継続できる定年延長・継続雇用・再雇用に加えて、今後は「同一企業又は同一企業グループの枠を越えた横断的な労働移動が増加する可能性」があり、それを前提とした雇用政策を準備するべきであると指摘した。その後、65歳台前半層の雇用問題は、厚生年金の支給開始年齢の引き上げ問題も加わって、一層重要性を増していった。

 

2.男女雇用機会均等・育児介護休業

 1985(昭和60)年制定の男女雇用機会均等法は、国連が1979(昭和54)年に制定した「女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約」の締結を達成するために成立したものであった。だが、成立にいたるまで紆余曲折があった。ここでは男女平等問題専門家会議「雇用における男女平等の判断基準の考え方について」、婦人少年問題審議会建議「雇用における男女の機会の均等及び待遇の平等の確保のための法的整備について」、日本経営者団体連盟「婦人少年問題審議会の建議に対する所感」、労働組合4団体・全日本民間労働組合協議会「男女雇用平等法に関する申入書」を掲げておいた。特に経営者団体と労働組合との間に相当の懸隔があったことがうかがえる。

 育児休業制度の必要性は1980年代末から生じるようになった。特に1990(平成2)年の「1.57ショック」は制度制定の気運に拍車をかけた。婦人少年問題審議会建議「育児休業制度の確立に向けての法的整備のあり方について(建議)」は「労働力不足基調の下で有能な人材を確保し得るメリットの多い制度」として導入を提言した。介護休業制度の創設は育児休業よりも4年遅く1995(平成7)年のことであった。婦人少年問題審議会建議「介護休業制度等の法的整備について」では「家族介護の問題は、勤労者にとって雇用を継続する上できわめて深刻な問題となっている」と指摘し、介護休業制度の導入を提言した。

 

3.パート雇用

 1980年代に入りパート労働者が急増するに伴い、雇用関係をめぐるトラブルも急増した。1984(昭和59)年に労働省は「パートタイム労働対策要綱」を策定した。そこではパートタイム労働を「その者の一日、一週又は一箇月の所定労働時間が当該事業場において同種の業務に従事する通常の労働者の所定労働時間よりも相当程度短い労働者」と定義した。これは曖昧な定義であったが、パートタイム労働の多義性を示しているものとみることも出来る。要綱は、「雇入通知書の交付」「就業規則の整備」など基礎的な就業ルールを整備することの必要性をうたっていた。また、パートタイム労働の主な担い手は「家庭主婦」と見なしていたが、同時に「高年齢者のパートタイム雇用の促進」を提言した点が注目に値する。

 1987(昭和62)年女子パートタイム労働対策に関する研究会「今後のパートタイム労働のあり方について」は、パートタイム労働の曖昧さを指摘し、「典型的なパートタイム労働者」と「疑似パートタイム労働者」という概念を使用した。「疑似パートタイム労働者」は「通常の労働者」あるいは「典型的パートタイム労働者」のいずれかに明確に区分し、それに相応しい処遇を受けるべきだと提言した。「「パートタイム労働問題専門家会議」における意見の中間的整理について」はパートタイム労働に関わる論点を総合的に整理したものであった。自由民主党・パートタイム労働問題検討小委員会「パートタイム労働対策の在り方について」はパートタイムをめぐる税制・社会保険・退職金などについて提言したものである。これらの論議を経て1993年6月いわゆる「パートタイム労働法」が制定された。法施行後4年を経過した1998年女性少年問題審議会は「短時間労働対策の在り方について」と題して建議を行った。そこではパートタイム労働をめぐっては「多様な就業意識や就業実態を踏まえた適切な雇用管理がなされていない」と指摘し、改善を提言した。

 

4.障害者雇用

 障害者政策については別の項目で取り扱われているので、ここでは労働省の障害者雇用政策に関わる資料を収載するにとどめた。総理府に設置(1980(昭和55)年)された国連障害者年対策本部は、1982(昭和57)年「障害者対策に関する長期計画」において、障害者雇用政策として「重度障害者に最大の重点を置きその雇用を阻害する諸要因を把握しつつ、可能な限り一般雇用の場を確保するよう、障害者の特性に応じたきめ細かな諸対策」を講ずることを方針として打ち出した。精神薄弱者雇用対策研究会は1985(昭和60)年「今後の精神薄弱者雇用対策の在り方」を提言した。そこでは「職業的自立こそ人間の社会的存在を規定する重要な条件」であり、「ノーマライゼーションの理念等に基づき、できる限り一般雇用の場が確保される」べきであると述べた。例えば「精神薄弱者の職域については、従来、単純作業に偏って考えられることが多かったが、今後は、精神薄弱者の就労即ち単純作業という固定的な発想を捨てて、個々の能力、適性に見合う雇用・就業の促進が求められる」とのべ、精神薄弱者の職域領域を拡大することを提言した。1991(平成3)年、障害者雇用審議会は意見書「障害者雇用対策の今後の方向について」において、法定雇用率を下回る事態が続いていることを指摘し、「総合的な障害者雇用対策の充実・強化」を図る必要性を強調した。

1993(平成5)年の障害者雇用審議会意見書「障害者雇用対策の今後の方向について」では「国連障害者の10年を終え、ノーマライゼーションの理念が社会に浸透しつつあ」ることを評価しつつも、重度障害者の雇用が進んでいないことを指摘し、重点的に政策を打ち出す必要を訴えた。その内容は総合的でかつ詳細なものとなっている。1998(平成10)年の労働省告示「障害者雇用対策基本方針」でも総合的な内容であったが、特に法定雇用率について「厳正な運用」を図ることを強く打ち出し、「事業主に対する援助・指導」を強化することをうたった。

 

5.看護・介護労働対策

 1990年代初頭には全般的な労働力不足の中でも看護婦(士)の人手不足が深刻になり、看護婦の引き抜き合戦などが社会問題化した。また、介護サービス労働の不足感も高まった。介護サービス労働の場合、他の一般的労働市場と競合する部分が多く、人材流出が発生した。労働省は1991(平成3)年「二一世紀を展望した人間中心の雇用システムの実現に向けて」を発表し、看護婦(士)、介護サービス労働者について「労働条件の向上」「退職者の再就職促進」とともに「人材養成」制度の充実を提言した。中央職業安定審議会は「看護・介護労働力確保のための総合的な対策の樹立について」建議を行ない、「看護・介護労働力が不足している場合には、勤労者が老親等の介護を自ら行うために休職・退職を余儀なくされる事態も生じ得ることから、その確保は保健医療・社会福祉という特定の分野に限らず全産業の労働力確保にかかわる重要な問題であるといえる」と述べ、問題は単なる医療・福祉業界だけにとどまらないことを指摘した。こうして1992(平成4)年「看護婦等の人材確保の促進に関する法律」が成立した。

 (菅沼 隆)

 



[2]中央最低賃金審議会「新しい産業別最低賃金の運営方針について」を参照。

[4]中央最低賃金審議会「公正競争ケース検討小委員会報告」を参照。

[5]中央最低賃金審議会「産業別最低賃金に関する全員協議会報告」を参照。