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国立社

会保障・人口問題研究所

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2 社会保障

 

 日本の社会保障は、1980年度予算編成をきっかけに縮小再編に入った。政府は、増税なき財政再建のため、国庫負担主導による社会保障水準のひき上げをやめた。政府は社会保障経費の洗い直しに着手し、経費削減のため「制度改革」を断行した。基本方針は、第2次臨時行政調査会(以下、第2次臨調)に委ねられた。第2次臨調は、1981(昭和56)年、第1次臨調(1964(昭和39)年答申)以来、17年ぶりに設けられた。第2次臨調は、財政合理化策を重点に検討し始め、1981(昭和56)年、「行政改革に関する第1次答申」をだした。同答申は、社会保障、文教関係費が大きな支出拡大要因として、国民生活に直接関係する面で受益者の負担増を求めた。この考え方が、以降の社会保障改定の基本となった。1983(昭和58)年の「行政改革に関する第5次答申(最終答申)」は、年金保険の一元化、医療保障の合理化、そして医療費の適正化を提言した。

 1980年代以降の日本は、高齢社会を急速に進展させている。社会保障は、総合的高齢者保障策へ脱皮することが求められた。それに初めて応えたのは、1985(昭和60)年の社会保障制度審議会の「老人福祉の在り方について」であった。閣議は、1986(昭和61)年、人生80年時代にふさわしいシステムに転換することを求め「長寿社会対策大綱」を決定した。

 1980年代以降の高齢社会対策のひとつの特徴は、一省庁によるものから複数の省庁の手による総合的方策となったことにある。その初めは、閣議決定と同じ見解をとった厚生省、労働省の「長寿・福祉社会を実現するための施策の基本的考え方と目標について」であった。その後、1989(平成1)年の大蔵・厚生・自治3大臣合意による「高齢者保健福祉推進10か年戦略(ゴールドプラン)」、1994(平成6)年の「高齢者保健福祉推進10か年戦略の見直しについて(新ゴールドプラン)」がつづいた。

 高齢社会は、少産少死の結果である。少産(少子は、末子を意味し、子供が少ない意ではない)は、少死=長寿とあいまって高齢社会を出現させるのである。少産、少死を一体として初めてとらえたのは、1994(平成6)年の高齢社会福祉ビジョン懇談会の「21世紀福祉ビジョン」であった。このような誤用は、人口問題研究者の世界では、すでに戦前から行われていた。国語辞典では、1995(平成7)年の『大辞林』にはじまり、1998(平成10)年『広辞苑』が、1992(平成4)年度の『国民生活白書』でつかわれたとし、以降一般化した。

 少産対策は、子育て支援社会の構築を目指した。文部省、厚生省、労働省、建設省は、1994(平成6)年、「今後の子育て支援のための施設の基本的方向(エンゼルプラン)について」をまとめた。1999(平成11)年には大蔵・文部・厚生・労働・建設・自治6大臣合意による「重点的に推進すべき少子化対策の具体的実施計画(新エンゼルプラン)について」が発表された。誤った少子化という用語をつかい、少産対策提言はつづいた。人口問題審議会は、1997(平成9)年、未来世代に対する人口減少社会への対応のあり方にふれた「少子化に関する基本的考え方について」をとりまとめた。

 少産化傾向はとどまらず、少産化対策は重要政策課題となった。少産化対策をねる会議が組織され、結婚、育児の制限要因を排除し、環境整備を実行することがつぎつぎと唱えられるようになっ?た。少子化への対策を考える有識者会議は、1998(平成10)年、「夢ある家庭作りや子育てができる社会を築くために(提言)」、少子化対策推進関係閣僚会議は、1999(平成11)年、「少子化対策推進基本方針」、2003(平成15)年、「次世代育成支援に関する当面の取組


方針」を発表した。少子化への対応を推進する国民会議は、2000(平成12)年、「国民的な広がりのある取り組みの推進について」、男女共同参画会議は、2001(平成13)年、「仕事と子育ての両立支援策について」、厚生労働省は、2002(平成14)年「少子化対策プラスワン」と、基本方針を同じにしたものが提言された。

 社会保障全般にかんする提言は、1990年代に入ってからようやく出現し始めた。社会保障制度審議会は、1993(平成5)年の「社会保障将来像委員会第一次報告」、1994(平成6)年の「社会保障将来像委員会第二次報告」で、社会保障の理念の見直しにとりくんだ。同審議会は、1995(平成7)年、「社会保障体制の再構築」で安心して暮らせる21世紀の社会保障像を勧告した。答申のみではなく建議、意見の権限のあった社会保障制度審議会は、2000(平成12)年、中央省庁再建にともない解散することに先立ち、最後の意見「新しい世紀に向けた社会保障」をまとめた。それは社会保障構造の在り方について考える有識者会議の同年の「21世紀に向けての社会保障」と同一基調であった。

 経営・資本側は、企業の公的負担が上限に達していることを前提に、つぎのように改革案を提出した。日本経営者団体連盟は、1996(平成8)年、「今後の社会保障構造改革についての提言」、経済団体連合会は、1996(平成8)年、「世代を越えて持続可能な社会保障制費を目指して」、経済同友会は、1997(平成9)年、「安心して生活できる社会を求めて」をまとめた。日本労働組合総連合会となった労働側は、2002年に「21世紀社会保障ビジョン」[1]をとりまとめ、発表した。

 

(横山和彦)

 


[1]「21世紀社会保障ビジョン」は、日本労働組合総連合会のサイト(http://www.jtuc-rengo.or.jp/)で公開されている。