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国立社

会保障・人口問題研究所

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5 医療法の改正

 

 医療法は、1948(昭和23)年に荒廃した医療施設を整備することを目的に、病院と診療所の区分、そして病院における医療従事者や設備等の基準を定める法律として制定された。その後、1950(昭和25)年に個人病院の法人格取得を容易にする医療法人制度が設けられ、1962(昭和37)年に公的病院の新設や病床数の増加を規制する改正が行われたが、それ以降は大きな改正は行われてこなかった。

この間、民間医療機関を中心に病院、病床数が増加し、また不足が問題となった医師数も、一県一医大の設置や医学部入学定員の増加などで、1980年代後半には将来の過剰が懸念される状態にまで増加した。しかし、医療機関や医師数は地域ごとに過不足の差が大きく、その是正が求められるようになった。また、従来の医療施設が感染症等の急性期疾患への対応に重点がおかれてきたのに対して、国民の疾病構造が変化し、また慢性期疾患の長期入院患者が増加すると、そうした状況への対応が必要とされた。

 こうしたなかで、1980(昭和55)年の富士見産婦人科病院事件や医療法人十全会事件などが発生したことを契機に、国会等で医療法人の監督を強化するための医療法改正が課題として取り上げられるようになった。1981(昭和56)年、厚生省は(1)医療法人に対する監督の強化、(2)都道府県ごとに「地域医療計画」を策定することを内容とした「医療法改正案」をまとめ、社会保障制度審議会に諮問した。同審議会は、法改正の意義を認めながらも、国の医療政策に明確性が欠けていることや法改正以前に行政措置で解決できる旨の答申を行った[1]。これに加えて日本医師会の反対が強いこともあって、厚生省は国会提出を断念した。

 1983(昭和58)年、野党の要求を受けて医療法改正法案が国会に提出され、継続審議を繰り返した後、医師会が要求していた医師一人でも医療法人を設立できる「一人法人制」を認めることで、1985(昭和60)年改正法案が成立した。いわゆる「第一次医療法改正」である。法改正後、医療計画の策定に先立って、いわゆる駆け込み増床の申請が急増するという状況もみられたが、その後は各都道府県で医療計画が策定され、医療施設の整備が進められた。

 1990(平成2)年1月、厚生省は、人口の高齢化、疾病構造の変化、そして医学医術の進歩等に対応し、高齢者の症状に対応した医療施設機能の体系化と患者サービス向上のための情報の提供等を目的とする「第二次医療法改正案」を作成した。同年2月、社会保障制度審議会の諮問、答申を経て、改正法案が5月に国会に提出された。継続審議の後、1992(平成4)年6月に改正案は成立した。主な改正内容は、(1)医療の理念規定を整備したこと、(2)高度先進医療を担う「特定機能病院」、慢性患者の長期療養を担う「療養型病床群」の制度化を行ったことである。病院はこれらに一般病院を加えた3種類が整備されることになった[2]

 1996(平成8)年、介護保険法案が国会に提出されたあと、それに対応した一連の関連法案として「第三次医療法改正案」が提出され、1997(平成9)年12月に成立した。主な改正内容は、要介護者の増大に対応した地域での医療サービスを強化するため、(1)療養型病床群の診療所への拡大、(2)地域支援病院の創設、(3)医療計画の見直しがあげられる[3]

 続いて1997(平成9)年に医療制度改革の4課題の1つに「医療提供体制の改革」が取り上げられた。そこでは、自由開業制やフリーアクセスの基本は維持しつつ、医療機関の機能分担の明確化と過剰病床の削減や医師数の抑制等を通じて、医療需要に見合った適切かつ効率的な医療提供体制の確立と患者の立場に立った医療情報の提供の推進が求められた。2000(平成12)年12月に医療法改正が行われ、2001(平成13)年3月に施行された。主な改正点は、(1)医療法上「その他の病床」(病床区分で、精神病床、感染症病床、そして結核病床に該当しない病床)とされてきた一般病床が「療養病床」と「一般病床」に区分し直されたこと、(2)一般病床の看護配置基準が4対1から3対1に引き上げられたこと、(3)診療録(カルテ)等に係る情報開示、広告規制の緩和など医療における情報提供の推進が図られたこと、(4)医師・歯科医師の2年間の臨床研修が必修化されたことである[4]

 

(土田 武史)